さあ、前回から引き続き朝っぱらから東海道を歩きます。
ここは保土ヶ谷駅の側です。
旧東海道はこの商店街です。
ほらね、リフォーム屋の看板もチョンマゲです
宿場祭りってなにするんだろう?客寄せだね。
すてきなシャッター
ここも辻です
ここで金沢八景・鎌倉への街道がわかれたそうです
鋭い方は気付いたかもしれませんが、
旧東海道では交通安全週間の取り締まり中です。
一時停止を守らない雲助カゴの検挙にお忙しいようです。
などと言いつつ踏切を越えます。
運転してない時は警察にも強気です
そして再び大通り。
こいつは国道1号です。
ここからは国道が旧道
保土ヶ谷本陣あと。
ここから辛い国道歩き。めげる。
天気予報が明日からしばらく天気が崩れると言う。
それで急きょ歩いたのですが、暑い!
コンビニで水分の出し入れ!
なんだかすてきな建物。
洪水防止とはいえ、すべての川辺をコンクリにしなくても良いと思う!
もっと自然な方がいいな
一里塚の復元中だそうです
すてきな紳士淑女の社交場発見。
これも江戸時代からあるのだろうか??
舞踏・白屋
ここからまた脇道へ。
排気ガスがないだけでずいぶんまし
今回は足下は軽ハイキングシューズ。
普通のスニーカーレベル。
そもそも舗装道路用ではないか、、
まだ余裕です。
すれ違った旅の人。
どう見ても東海道を歩いてるっぽい。
手にはガイド、帽子、リュック、足下もしっかり固めてます。
普段着の僕とは違うな
多分昔から地元で守っているほこら
川も細くなりました。つまり、山が迫る
じゃーん、日本橋から歩いて
東海道の最初の難所の権太坂です。
いまでもそこそこ急ですが、
昔は大変だったらしいですよ。
権太坂は高速の狩場インターを越えます
遠くにはまたランドマークタワー。たしかにランドマーク。
こちらもいつも僕が通る道を、今度は上から見下ろす。
変な気分。
権太坂をほぼ登りきりました
坂の上の名門校
囲碁部全国大会ののぼりってのは珍しくないか?
普通運動部だろ、こういうのは。。
昔の権太坂あたりだそうです
今は住宅地
なんか旧東海道って整骨院とかが多い
ここらへんに「投げ込み塚」というのがあったそうです。
何を投げ込んだかって?
それは行き倒れの旅人。
昔の権太坂は本当に命取りだったらしいです。
なにせ連中は日本橋からずっと一日で歩いてきてますから、
ここらで無理が出るんでしょうね。
神奈川から歩いている僕も相当へばってます。
さあいざ国境へ
じゃーー、国境。
しらなかったー、ここまで横浜って武蔵国だったの?
いよいよ武蔵国を出て、、
ここより相模の国です
11394歩。歩き始めて2時間半。
バテた~。
もうすぐ投げ込まれそう
やきもち坂を下ります。
焼餅って書くそうです。
その前に軽く熱射病風。
帽子を持ってくるんだった~
それにしても「やきもち坂」っておもしろい名前
「家どこ?」
「やきもち坂の上」
これだけで話題を提供できます
だからかマンションも名前につけてます。
権太坂の名前をつけた新築マンションは皆無だろうと思います
やきもち坂にて
なんか急にのほほ~んとしてきました
すでに遠い記憶の情景です
再び一里塚
遠くに見えるは東戸塚駅前のビル
日本の大動脈なのに道が狭い!
東海道の大木の方が背が高いぞ!
このあたりの左右は開発され区画整備されて団地になってます。
その真ん中の尾根線に旧東海道だけ有機的なカーブを描いて残っています。
NYCのブロードウェーみたいなものですね。
逆は駅前へと通じます。
道はこんな田舎道~。本当にあってるのかな?
不安になった頃に看板発見。安心です。
体力に余裕ありませ~ん
ここからはどんどん高度を下げます
新しいからって、えばるなよ!
お!旧東海道て歩道橋?
でも間違ってないらしいです
道は再び住宅地へ
もう何本のスポーツ飲料をのんだろうか、、
よい門構えによいお花
再び川です。と言うことは、分水嶺を超えました。
権太坂の手前でみた小川は東京湾に注ぎます。
これは相模湾へ。
道は川沿いです。多分昔は水田地帯でしょうな~
さぎ?
再び国道1号へ合流。
しかも渋滞中です。まいるなー
そろそろ、軟弱になった脚がねを上げ始めました。
でもいざとなったらバスがあるから安心。
(本当にいざとなったらタクシー使うぜ、大人だから)
打撲のほうの脚。
写真じゃ打撲のあとが、わからないかな。
とりあえず間違えなく東海道
山崎パンの工場です
そして正門前のコンビニは当然、ヤマザキデイリー。
日本一堂々としたヤマザキデイリーじゃないだろうか、、、
疲れが回復しないのと、やや熱射病なのと
腹が減ったので手近なラーメン屋へ。風情なし。
創業嘉永6年とかじゃなくて昭和29年。
今聞くと新しいね。
店内すずしーーー、最高~
ここで16546歩。
3時間半、ほぼ休みなしで歩いてます。
ランチ時間で追い出されるようにすぐに道へ
ここから旧道は少しだけ裏へ
旧道らしく古い倉庫。なんだろう?
古い屋敷
古そうなネコ。山崎君です。
フォルクスの写真じゃありません。
江戸見附跡の碑です。
つまりここが戸塚の宿の入り口
祭りの準備か何かで、しめ縄が張られてました。
大橋です。広重の絵はここがモデル。
って、そもそも広重は東海道を歩いたのか??
遠くに赤い点滅するのもが見えます
ほらね、ほらね。戸塚駅前の踏切
江戸時代にはなかったけど、
かつての箱根駅伝の難所の踏切です。
ここで追いつかれたりペースを乱したり。
いまはバイパスが山崎パンのあたりまで抜けています。
戸塚駅到着。
宿場はこの先にあるので次回です。
なになに、当時の一般的な旅人は一日40kmも歩いた、、。
大変な健脚ですな。
しかも夜は夜で飲んだり女郎遊びしたってどういう事よ。
この階段がきつかった
ばてばてです。
江戸時代なら「うっかり八兵衛」以下だね。
保土ヶ谷から約9km。
神奈川の宿からだと約14km、20455歩、5時間弱。
相当にまいってます。
トレーニングにはなりましたけどね。
次回は絶対に帽子が必要だ
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