2008/05/16

東海道 2次目(鮫洲)~川崎

(順番が変ですが、この区間が一番最初に歩いた区間です)

 

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始まりはネコだった。

来月にアメリカに行くのに国際免許が切れていた。
そこで大井町あたりにある鮫洲運転免許センターへ。
国際免許は事務手続きなのですぐ終わり、帰路についた。
最寄りの駅へ向かったのだが、、、ネコが歩道で倒れていた。


倒れているようにしか見えないのだが、お昼寝中。

何だ、昼寝ねこかよ、、と、
こいつを鮫太郎と名付けた。

さて、その先にある鮫洲駅へ向かうと、またネコがよぎる。
しばし彼の後を追う。

彼は路地に消えていった。
彼を鮫次郎と名付けた

さてさて、気づけばネコを追った道は旧東海道だった

どうせだから隣の駅まで歩いてみようか、、、
ここは運河沿いだが、昔は海岸だったはず。
いつも首都高から見る景色を逆から見た。新鮮だ。

そらには鵜、

茂みにはネコ、、また猫だ。

鮫三郎かと思ったがここは既に隣の立会川
立太郎だ。

こちらが立会川。なんか旅情がある。

お、早くも立次郎を発見

こっちに関心なしみたい

さて、足はどんどん進む。
そろそろ鈴ヶ森だ、、

鈴ヶ森といえば鈴ヶ森刑場です。
遠くの緑の所が刑場跡地
実際に火あぶりや獄門貼り付けにした基礎の石が残っています。
慰霊碑も多く、本気度アップ。
さすがにその場で写真は撮らずに、遠くから。
お寺もありました。

ここから東海道は国道15号になりました。

こうなると、歩けども歩けども風景が退屈です

しばらく先で再び旧道が出現。美原通り。

商店街になっています

なぜかこのあたり、整骨院が多いんですが、、なぜ?
日本橋から歩くと疲れがたまるから?

ここで突然、万歩計を思い出しました。
いつも鞄の中で、けなげにカウントしてたんですね。

こいつは賢いやつで、毎日夜にメモリーに歩数を自動記録し
歩数をゼロに戻してます。
だからこの歩数は自宅(白金)からの歩数です。
でもすぐにバスに乗ったからほぼ鮫洲からです。

マンションなのに海苔問屋。
実にそれっぽいです

また15号に合流。

そしてここは既に大森を過ぎています。
このまま川崎まで徒歩だな、、、と決めた瞬間


道はひたすらまっすぐで退屈。
そろそろ疲れが出てきました。
東海道五十三次風にコンビニで羊羹と緑茶です。

京急梅屋敷通過

本当にここが東海道なのか?
と、疑問がわいてきたあたりで道標発見。
日本橋から三里一八丁ってどんだけ?

あまりの退屈さから脇道にそれてみました。
京急は高架化工事中

そしてこの工事にもガソリン税と自動車税!
うーーん、複雑だ。
必要なんだろうな、これは。

自画像


蒲田まで来ました


工事と排気ガスで東海道はウンザリだ!


さて、駅前に立体化工事の資料館がありました。
空から見るとここにいます。

んんんん!!!!これもガソリン税か!
これは無駄だろ!!

「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ蒲田踏切」
東海道で一番の難所です。
箱根駅伝だって京急羽田空港線の前には止ります。

無事通過~

さてここで決断せねば。
川崎はまだ遠いのに、足が痛い。
たった一万歩で!やわだな、おれ。
でも足は柔でも精神は剛。
歩くぞ!

地名に六郷の名前が入ってきました

まだ結構先だけどね、、、多摩川。

本格的に疲れた。
雑色駅で御茶屋を探すことに。

予想に反して立派な商店街だ!
住みやすそうだな。

ドトール茶屋にてミルクレープ団子と黒茶亜米利加風

さて膝栗毛を再開、13034歩

天然温泉の銭湯です。ここらは黒湯が沸くんです。
入っていきたいが、、先を急いでるもので

本来の東海道ではないですが、空気のきれいな裏道を進みます。

京急が高架を降りてきました。
あの高架は多摩川の陸橋です!

六郷土手。現代語に翻訳すると多摩川の土手。
川崎はすぐそこですね。


駅の裏手はすぐに土手。
そして公園に古い橋の名残がありました。

当然ですが、江戸時代は橋は無く渡しでした。

いよいよ六郷橋。

15172歩(鮫洲から)

あのマンションは川崎です

入りました

嗚呼、夕日が多摩川に沈みます。
昔だったらここで日没終了で、川崎宿に宿を探した所です。

いよいよ川崎宿

市も盛り上げてくれてます。

ここから宿場です。

おっと、これは、、、遊郭の案内ですな。

いよいよ川崎駅前です

市役所通りですね。

あ、あれこそはJR川崎駅。
後光が射している!

17620歩で川崎着
足が棒

そのくせヨドバシカメラを見つけてぶらぶらしたりして、、

歩数が19443歩に。
この後で温泉に立ち寄りました。
その日の疲れはその日のうちに癒します


帰宅すると22950歩。
ちょっと免許更新のつもりが、東海道一次をしてしまいました。
歩いた距離は約11km(推測)です。
宿場をたった一つ歩いただけで、バテてていいんでしょうか?
(正確には品川-鮫洲の2kmを歩いてません)
江戸時代の人は早朝に日本橋を出て、
夕方には普通は戸塚、遅くても神奈川にはいたそうです。
だめだ、こりゃ。。。

川崎の宿

品川~鮫洲の区間は翌日歩きました。こちらです。
http://100000steps.blogspot.com/2008/05/blog-post_17.html

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