この日は前の藤枝から島田も歩いています。
前の区間はこちらです
さてさてアップに時間が空きましたが、島田で休息せずにそのまま歩くことにしました。15674歩からスタート
島田ははきれい。電線も地中化して宿場で町おこしをしているようです
マンホールも派手です
こちらにも本陣が。この先に大井川があるため川止めなどもあり、大きな宿場だったようです。
ファンキーな歩行者信号のサイン。すでに藤枝から9km歩いて、疲れた旅人との影と
ここで休まなかったのは、大井川川越遺跡あたりできっと良い風情の店があるという期待から
道が曲がりだすと、そろそろ宿場をのハズレということでしょうか
川越遺跡をめざします
大井神社という立派な神社が。大井川を無事に越えられますようにと、昔の旅人は祈ったに違いないです
でも立派すぎて本殿まで遠くて行きたくないので、おいらは省略。ほんとどこもよらないね、僕は
広い道の歩道を歩くのは、けっこう疲れます。そしてまっすぐってのも疲れますね
製紙工場がありました。水が豊富ですからね。そして大井川の上流部には原料の木がたくさんありました。僕が登った赤石岳あたりはこの会社の関連会社の社有林でしたが、今は伐採はぜずに保護しているようです。
やっと県道を離れるときが来ました
この案内が出るといつもホッとします
ここから東海道は製紙会社の工場沿いですw
旧道っぽく地形に沿っているのかうねってます
その道を横切るように用水がたくさんながれていました
こちらにもあります。いずれも製紙工場の敷地に入っていきました
やがて工場の壁を離れるとなにやら旧街道っぽい風情が
いかにもな地名
そしていよいよ遺跡に入ってきました
いまも住んでらっしゃる家もあるようです。その合間に資料館があるようです
外観はこんなで、中に入ると、、、
こんな感じ。川越の人足が休んでる
いいじゃないですか。最近で一番の東海道感。まず電線がないのがいい。江戸の時代は空が広かったんだと実感
ところがですよ、お茶屋とかないんですわ。
厠って書いてるけど、わかる人少ないんじゃないか??
自販機がありました。急に現代に引き戻されるんで、せめて木目調とかにしてもらいたいですな。茶屋も一軒あったけど、やってなかった。
そしていよいよ徒歩の旅人は大井川に出ます
箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川です
川の手前にこんな記念撮影スポットが。平連台ですね。島田市の情報サイトによると、平連台は川札1枚、人足4人で川札4枚、合計川札5枚だそうです。川札1枚の料金は、なんと川の水量で変わったそうです
せっかくなので乗ってみました。三脚はないので地面おきです
こんな感じで大井川を越えたんですんね。これは乳通という水量のようなので、川札一枚78文のようです。5枚だから390文。一文30円換算として11700円か~~。高いな。136cmを水量が超えると川止めで渡れなかったそうです。
ここで知ったのですが、棒の両脇を人足が持って、それにつかまってわたる棒渡しというのがあって、それは無料だったそうです。僕はそれだな
さあセルフ棒渡しでいくぞ!
あちらは東海道線の鉄橋。長いな~~
川越の前に行動食で腹ごしらえ
歩いて超えるぞ!
(橋を歩いて、、です)
いまは上流に複数のダムがあるので水量も安定ですが、昔は暴れてたんだと思います
赤い石がありました。赤石山脈だからね、上流は。
本来なら、ここで横切るべきですが、橋がないので大きく迂回です
一旦河原から堤防に登ります
こちらが現代の東海道。安心してください、ちゃんと歩道が別にあります
1km以上の延々と続く歩道
大井川の河原は広いです。水はあまりないように見えます
貨物列車が大井川を越えてます
対岸は牧ノ原台地がせまります。そしてどうやらあの鉄塔付近が富士山静岡空港らしいです
島田川からは水がないように見えてましたが、中洲の金谷側には結構な流れがありました。 この橋のところはとてもじゃないけど歩いて渡れそうにはありません。
やっと越えてきました。この間、歩行者は一人もいませんでした。通ったのは帰宅を急ぐ高校生の自転車ばかりでした
金屋側の土手を少し歩きます
どうやら東海道はここらから右に行くようですが、先程の川越の対岸に行きたいじゃないですか
どんどん歩いていくと、どんどん寂しくなってきました。地図で確認すると、この先は行き止まり
川を離れます。清掃工場へ続く道のようです
ショートカットして金谷宿へ行けるかと思いきや、工場に阻まれ結局県道まで戻ることに
ん?引き込み線??
後で調べたら、大井川鉄道の廃車置き場への引き込み線でした。この先は本線につながっているようです
延々とあるいてやっと東海道まで戻りました。無駄足だった
どうやらこちら側には川越遺跡はないようです
公園に説明はありました
この案内で東海道を実感。
江戸時代は宿場以外では泊まってはいけなかったそうで、川止めだと宿場に引き返してたんですね。不便だわ
それっぽいな~~
このあたりが川越し場だったようです。考えてみたら、昔は堤防なんてないんだから、大井川はもっと広々と自由奔放に流れてたんだわな。そもそも河岸段丘が背後に迫ってるわけで、一時はもっと先まで大井川だったはずですからね
このあたりはすでに市街地。一体どのあたりから宿場に入るのかわかりません。
踏切発見
踏切内撮影禁止って書いてあったんですが、どういうことかと思ったら
なるほど、新金谷駅のSLを線路に入って撮る人が多いのね。ちなみにこれは道からです
新金谷駅付近ということは、旧金谷ではないんですね。もっと先か。ちなみに大井川鉄道はもう一駅先にJRと接続する金谷駅まで行っていますが、なんか向きが妙です。後でわかりましたが、金谷駅は坂の上なので、迂回して勾配を登っているようです
再び橋。このあたりは小さな川も多いです。大い川だな
いい感じの古い橋。昭和30年代ぐらいのかんじでしょうかね
ゆっくりとですが、道は左にカーブし先が見えません。疲れた体にこたえます
さっき橋を渡ったばかりなのに、また川か
本当に水が豊富
だんだん左右に店が増えてきましたね
銀行と郵便局があると、きっとここはもう宿場だろうと思う。なんとなく経験値
交差点を越えると道が広くなりました。そして道は上り坂に
どうやら金谷宿は坂の宿のようです。そして地図によると金谷駅は坂のずっと上~~~
やはり知らぬ間に宿場に入っていたようです
本陣の看板が数枚
立派な立て札があるので、ここを金谷宿としましょうか
この区間は15674歩からですので、9864歩でした。距離は4.4kmらしいですが、迂回とかしてるからどうなんでしょ。
ただし今日のゴールはこの先の駅としますので、坂を登っていきます
左の奥に線路が迫ってきました
いまさらですが、金谷宿の案内が
今更って言ったけど、考えてみたら多くの人は金谷駅から宿場に来るから正しいわけですね
奥に見えるのが大井川鉄道の金谷駅。東海道線と並んでいます。そして旧東海道はこのガードをくぐるそうです
この先で道は牧之原台地の上に登るようです
といわけで、東海道の歩数はここで切りましょう。この区間は15674歩からですので、10444歩でした。そういえばいつからか、日本橋からの歩数を積算してないな。一体何歩なんだろう??
難題は後回しにして、とりあえず駅へ向かいます。今はまだ明るいけど、いいえにつく頃は夜ですから
どうやら道は空港へ向かうようです
金谷駅到着。
となりのあちらが大井川鉄道の始発駅です
今は17時。コンビニ行ったりしようと思って時刻を見たら、なんとすぐに熱海行がくるじゃないですか。帰宅ラッシュが始まる前に乗りたいので、飛び乗っちゃいました。
電車はあっという間に大井川を超えて、一路熱海へ。ここで失敗だったのは、この電車にはトイレが付いてなかった!慌てて乗っちゃったのに
富士川も超えてどんどん富士山が大きくなります。そろそろトイレが限界になったので富士駅で下車して駅のトイレに駆け込みました。ラッキーだったのは身延線の接続待ちをしていたので、同じ電車に再び乗れました
このあたりが一番富士山に近いかな~~
熱海です。接続する東京方面はすぐありましたが、このご時世ですので、地元に着く頃には飯屋はやってません。
思い切って熱海で途中下車。ぐるっと見たけど、結局駅ビルで夕食に
干物定食!かなり満足。久々に干物食べました
そして東京方面の電車に乗れば、あとは睡魔との戦い。うっかり寝ちゃうと宇都宮まで行っちゃいますから
ねるなねるなねるな~~~
そんなわけで家につくと歩数は29396歩でした。現場はずいぶん遠くになりましたね。このあと、コロナ緊急事態宣言が出たため、東海道あるきも一旦休みになりました。夏はしんどいから続きは秋ですかね。
早くコロナが落ち着くといいですね~~
この次の区間、金谷~日坂へ
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