この前の区間はこちら 今日はこの前の区間から歩いて袋井宿に着いたところです。東海道どまん中だそうで、いよいよ旅も後半へ。
21938歩から歩行再開!
どまん中公園は正式には袋井東海道公園、トイレがありました。袋井宿あまり茶店や飯屋がないですね。国道沿いや駅前にはあるんでしょうけど
なんかさみしいぞ
またトイレと公園。そしてここらが宿場の出口です
高札場だそうです
橋を渡れば宿場を出る感じでしょうか。目指せ見附宿!見附は袋井市にあります。
宿場には必ず川がありますね。そりゃそうだ、豊富に水がないと宿場が成り立たない
こうじ屋さん。東海道を歩くまで麹屋という商売があるのすら知りませんでした。
あるいてるよ!
紙店。紙店ってのも初めて見たかも。最も今は文具屋さん。昔は細分化してたのね。
建具屋さん
そして東海道の定番、酒屋さん。
おっと東海道どまん中東小学校もあるのか。前回は西小学校がありました
お茶屋さん。茶所だもんね。
東海道旧道は緩やかに曲がりつつ、、、
このさきで新道に
新道沿いはにぎやかです。車社会に旧宿場は向いてませんからね
何やら意味深な立て看板
東海道はこの先で右側にそれますが、、、、あそこがらへんだね。
渡れないとこまるね
渡れる内に渡っておきました。交通量も多く信号でないと横断は危険です。静岡は運転荒いんで有名ですし
ローソン茶屋で水分補給
ちょうど工事中の歩道橋のところで東海道は新道をはなります
こっちね
再び静かな住宅地へ
一里塚跡
一里塚跡と私
こちらは移設再建された一里塚
おっとなにやら神社が
家康公腰掛岩、、、、ここに座ったのか。
古戦場みたいです
また国道に合流。ここからしばらくは歩道歩き
磐田市に入ります。さらば袋井
田んぼ地帯を見ながらゆきます
それにしても国道の歩道区間は歩いていて面白くないな
長い間続いてきた稲作地帯、、、ということは
川があるわけですよね。水って大切
相変わらずの歩道です。そして夕日が正面でまぶしい。ずっとまぶしい
振り返れば僕の陰が長く伸びています。もうすぐ日没。
川を渡って側道へ
江戸時代からありそうな松の大木が夕日に映えます
見よこの陰の脚の長さ。
東海道の案内板。見附の宿はまだ先のようです
そして前方に里山が
日が陰りました。なんか急に心細くなります。ちなみにこの先は鎌倉道、江戸道、明治道と分かれます。どの道もこの緑に突っ込みます。ちなみに昭和道は右手に立派な道があります
江戸の道を行きます。昔は「早く宿屋に着かないとまずいな」ねんて思いながら歩いていた時間でしょう。街灯も懐中電灯もない時代。せいぜい提灯ですからね。
このままゆくと明治の道ですが、、、
江戸の古道は林に突っ込んでいきます。
野盗でもでそうな気分にさせる木立の中の暗さ。
そりゃ古道だろうよ
一本調子で上っていきます
丘の上はまだ日があるようです
あそこまで行けば安全だ!って思っちゃね。日光ってありがたい
でました。
それぞれの道の解説がありました
ちょっと見晴らしが良さそうな方へ。
この右手の下り坂が鎌倉の道だそうです
大日堂と書かれた場所へ
木々の間からちょうど今歩いてきた方が見えます。掛川城も見えるでしょうかね
う~~ん、わからん。
先ほど子歩いてきた国道はこちら。高架になっている昭和の道
さてさてのんびりしている場合じゃありません。まだ見附宿は先です。
まだ2.3km。これって宿場の入り口までだろうから、、磐田駅までは倍ぐらいありそうです
そして日没はすぐそこ。
月が顔をのぞかせています
住宅地の中を東海道は西へ
自転車の少年も家路を急ぐように、旅人も急ぎます
でも、、、脚が痛いです。急げません!
坂を下ります。脚に来ます
大久保坂と言うそうです
また日没
すっかり暗い東海道
カラスも山の家に帰るようです
月と烏
今度は上り坂。疲れた脚に応えます
行人坂を登り切りました
ここより西 見附宿とは言いますが、ぬか喜びでした。木戸からが宿場だと思っております。
ここで昭和の道を江戸の道は越えます
見附の空はまだ夕焼け
そしてこれを渡れと。疲れてるんですけど、横断歩道にしてもらえませんでしょうか、静岡県さん
歩道橋の上より見た景色。
あ、まだ太陽がかろうじて見ています
本日3度目の日没。そしてこれが正真正銘の日没でした
雁の群れでしょうか
大群で東の空へ飛んでいきます
よくわからんな。
道は脇道へ
あ~~、帰りの電車の時間関係なかったらがっつり肉食べたい
そろそろ見附についてもいいぐらい歩いてます
静岡だね~~~
まだかなまだかな~~
ここから急坂を下ります
そして下った場所が木戸跡
見附の宿場にどうにか到着。江戸時代だったら危なかったってレベルの滑り込み。夜は盗賊山賊そして魑魅魍魎が支配していた時代ですしね。
見附はこの先に天竜川があるので川止めがあり栄えたそうです。旅籠が56軒もあり、東海道でも指折りの宿場だたっとか
どれどれ、その賑わいとかを見せてもらおうか
なるほど明るい
歩道もこってる
本陣かと思ったらJAだった
宿場に入ったからってまだ歩きは終わりません。でも緊張の糸はぷっつりと切れました。もう歩けません。
そこで奥の手、フレッシュ靴下!これまじで元気になるんですよ。
本日の反省事項。東海道を歩くときは、運動用の厚手の靴下にしないとだめ。それもはき慣れたもの。今日は靴下を失敗しました。薄かった。
歩行再開。宿場を抜けてさらに東海道を進まないと磐田駅には着きませんよ
まあ当たり前の気もするけど、やたらジュビロ推し
学習塾も宿場風
だんだんと夜の帳が降りてきました
見附宿場通りはわかるんだけど、、「栄光への道」って歌のタイトルみたいだな。そしてあちら側は旗が違うな
見附宿の案内に到着。おそらく本陣の場所かと思います。
かなり立派な旧見附小学校
明治8年の現存最古の洋風校舎だそうです。もう暗いからよく見えないけどね
33001歩です。21938歩からですので、11063歩で袋井から見附に到着です。ちなみに本日22km歩いてるの??なんか設定間違ってそうですが、、、まあそんなもんかな。僕は本日のゴールを磐田駅にしております。磐田駅までもまだ東海道です。
ここからは本来は見附~浜松の区間ですがこのまま書きます
ここでカメラを明るいレンズのものに変えました。まだまだ撮れます
見附には駅はありません。どこでもよくある話ですが、昔は宿場から離れた場所に鉄道が通ることが多かった。そして時代とともに町の中心が駅魔へ。そういう流れですが、見附は今も健在のようです
猫屋さんかと思ったらお花屋さん
この旗はブルーレヴスというラグビーチームらしい
そして道の由来は東京五輪で卓球混合ダブルスで金メダルを取った選手たちの出身地だそうで、その記念だそうです。サッカーだけじゃないのね
足下には案内が埋められています。見附、がんばってるな
だいぶ進んできましたが、見附は長い!
ここを左折するのが東海道、まっすぐ行くのは姫街道。姫街道は近道ですが、私は駅へ行くので東海道
西の木戸跡です。夜なのに再び東海道を歩きます
バスに乗ればね~~、磐田駅は近いのに。先ほどの本陣付近から駅までは2.1kmあります
東海道はこの脇道へ
今でも暗いよ、江戸時代は真っ暗だったろうに
そしてすぐにバス通りに合流
疲れ切ったぞ
ああまたバスが!乗りたい!
ここからは駅までまっすぐ
消火栓の蓋。ジュビロだな
府八幡宮前をお辞儀をして通過。もう寄り道する元気ない
久々に東海道の痕跡。完全にジュビロに負けてます
通行止め予告。マラソンがあるのか、、、ってジュビロマラソン??
前方がかなり明るくなりました
あとひとバス停かな
歩道にたくさん足形が、、、ジュビロね。弥次喜多じゃないよ
前方に駅が見えてきましたよ
えっとジュビロのマスコットだな。向こう側にもあります
このように東海道は駅前まで南下してきます
そしてこの先の信号を右に折れれば東海道、直進すればすぐ磐田駅
東海道はこちら。でもここから先は次回ね
36152歩で東海道を離脱
ってもう駅なんですけどね。駅前はあまり飲食店がありませんね
駅構内もジュビロ。流石サッカー王国
一応、大河家康も推してはいます
さてちょうど1回乗り換えで帰れるラッキーな乗り継ぎなので、もうすぐに帰りましょう。終電は20:00ですが、3回乗り継ぎとかいやですので。ちなみに新幹線だと21:30が終電。
駅弁なども売っていないので、コンビニでおにぎりなど買って乗車です!
ん!
ジュビロっていままでJ2落ちしてたの?ここで今知りました。J1昇格おめでとうございます
東海道本線にのります。予算的にも帰りは新幹線は使えません。というか掛川じゃないのでここには新幹線停まりませんので、誘惑なし。でも静岡で降りて夕食ってのは魅力だけど、、、、20時終電だと帰れなくなるしね
あ~~つかれた。このまま3時間半ですよ。
沼津で乗り換えたのが宇都宮行き。そこからはうかつに寝ると栃木県の宇都宮まで連れてかれます。ってことは磐田から宇都宮も1回乗り換えか。でも6時間9分かかり到着0時29分だそうです。便利なんだかよくわからないな
無事に辻堂駅で降りられました。よかった
そして愛猫が首を長くして待つ実家へ到着。ただいま~~!
あ、爪を研いで待ってたわ。
おなかすいてるみたいね
そんなわけで本日は39601歩歩かさせていただきました。つかれた~~~。次はいつかな~~、もう浜松だもんな。現場がどんどん遠くなります。そして片道普通列車すら厳しくなってきました。新幹線は電車賃倍ですからね
そっか、次は天竜川越えだね
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