2008/05/28

東海道 1次目 日本橋〜品川

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やって参りました、日本橋。まだ本当に東海道を全部歩くとは決めていないけど、
起点区間が未達成なのは気持ちが悪いので歩きますよー。
”お江戸日本橋七つ立ち”って早朝四時とかですね。
四時から日没まで歩けば戸塚までついたんですね。
僕には無理。今日は品川までです。

これが日本国道路現標です。
橋の中央のセンターライン上にあります。

日本の道路行政、ここに始まる

橋の上は首都高速。最近、日本橋を再生させるために首都高を地下化させようという運動があるようです。気持ちはわかりますが、いったい何百億かかるんでしょうか?これも時の流れとあきらめましょうよ。


すべての道はローマに通じるらしいですが、すべての街道は日本橋に通じてます。
ここから京都は503里。はて遠いのか近いのか、、、里だとピンと来ませんね。

さあ歩きます。本日は夕方5時の出発です。
日本橋交差点

交差点をまたぐとすぐに、立ち食いそば屋。

腹が減っては徒歩旅は出来ないので、腹ごしらえします。


創業元禄元年の山本山。
と、言うことはずっとここにあったのですね。

高島屋ですがこちらは昭和初期から。
元々は関西のお店。

途中で東京駅が見えました。こちらは大正時代に開業です。
鉄道の原点である0キロポストがあるのはこの駅です。
道路は日本橋ね。

早くも京橋。明治屋さんは明治18年創業。
江戸時代開業だったら江戸屋だもんね。

橋の欄干を見つけました。
江戸は運河の街でしたから。
もっとも今はほとんどが暗渠です。


京橋を渡り、いよいよ銀座へ入ります。
そういえばここら辺では東海道というより銀座通りの印象しかありませんね。
日本の目抜き通りです。


ティファニー!


ダンヒル!


ブルガリ!


カルティエ


シャネル


ルイビトン!
すっかり黒船に占領されてます。

情けないくらい、日本人は日本の物を買わないんですか?日本の目抜き通りが外国ブランドで占領されてます。と言うよりも、これらの海外ブランドを日本に入れている仕掛け人は大半が日本の商社だったり、流行らせているのはマスコミがだったりするわけで、そうなると日本人の責任という面もありますね。
そんな中で唯一検討している日本初の世界ブランド『ミキモト・パール』です。


世界中どこに言っても最高の真珠と言えばミキモトです。
日本で世界に誇れる物は以外に少ないです。

毎度おなじみ和光の時計


鳩居堂前といえば日本一高い地価ですね
今は坪いくらぐらいなんでしょうかね。


ユニクロ発見。
安易に海外のブランドをライセンスして販売してしまうよりアパレルや商社より、
地方から地道に自分で立ち上げた事を評価したいです。

資生堂もがんばっています。アメリカの高級デパートに行くと数々の化粧品と共に資生堂は売られています。立派です。

天國(てんくに)です。高いのでランチの1000円天丼しか食べられませんが絶品です。
今日は素通り。。。

さらば銀座、3194歩。


新橋はここにあった橋の名前、銀座新橋からです。

汐留は威圧感がありすぎで、うざいね。
ここが昔の新橋駅跡。明治5年開業です。
新橋~横浜(桜木町)を結びました。鉄道唱歌の1番に歌われる
「♪汽笛一声新橋を、はや我が汽車は離れたり、愛宕の山に入り残る月を旅路の友として♪」
に歌われるのはここらへんです。

当時はここから愛宕山が見えたのに、、、、今はビルしか見えません。


ヤクルト本社前の噴水。
どうも水がヤクルトな気がしてるのは、早くも疲れてきたからでしょうか?

ガードの向こうは親父の街、新橋の飲み屋街。
下戸の僕には無縁ですが、、、


さて本来の東海道は表通りですが、排気ガスを嫌って一本海側へ。
さしづめ海岸を歩いている感じでしょうか。再開発地区。
なんでイタリアやねん。

珍しく江戸の痕跡発見。

東京タワーが路地から見えました。
手前の焼鳥屋もいい感じ。

大門。遠くに見えるのは増上寺。

浜松町の駅前で親父が並ぶのは焼鳥屋です


別の場所にも景気よく焼く、焼鳥屋がありました。
奥は浜松町駅。


疲れたので、たまたま見つけた足裏マッサージします


5768歩しか歩いてないの、足裏マッサージは激痛です。
この店は罰ゲームに登場する先生の店だそうです。
そういえば見たことあるなぁぁ、、そこーー、いてぃてちえいていーーーーー!!


外はすっかり夜。
遠くに見えるは東芝本社。

川沿いには屋形船の店がありました。

乗船中みたい。乗ってみたいな、屋形船。
今年の課題だ。

脇道から本道に戻りました。
日本橋からずっと幹線道路沿いなのでつまらないです。
というか、排気ガスがくる。


ここでまた裏道へ入ります


線路沿いです。現在の山手線が、明治の線路の位置で、
そこは既に堤防の上だったと言います。
と言うことは砂浜散歩というか波打ち際をウォーキングしてますね、今。

雑魚場跡の碑が公園にありました。
小魚がよく捕れたらしいです。(推測)


ここが最後まで残っていた砂浜だったそうです。

そして堤防の鉄道の下をくぐって砂浜に行けたそうです。
多分このガードの原型かと


田町駅到達。品川までJRならあと一駅です。

駅前は旧東海道の面影なんかこれっぽっちもありません。

前方の歩道橋が札の辻です。
札所があった場所という意味ですね。


右が今来た国道15号、左のすぐ先には国道1号が走ってます。
江戸時代、ここあたりまで見送りの人がついてきたらしいですよ。
昔の旅はマジで命がけでしたからね。

国道はつまらないので線路を渡って海側へ。
遠くに見えるのが品川の新都心です。


芝浦の運河沿いです。
ここをひたすら品川方面へ行くのには理由があります


じゃーーん、知る人ぞ知る名物ガード下。
長さも低さも多分東京一じゃないでしょうか。


僕の身長が167.5cmで、髪の毛が触れてます。

僕の身長でも、歩くと首を曲げないと無理です。

公式には1.5m。タクシーによっては行灯が壊れるそうです。
いつもは車で走るのですが、歩いたのは初めてです。
東海道より感動した!


戻った場所はちょうど旧東海道。そして大木戸跡です。


今は片方の石垣しか残っていませんが、かつては木戸がありました。
ここが江戸の南の玄関で、江戸の終わりです。
夜は木戸が閉められたそうです。
いよいよここより真の意味で東海道の旅です。


なんだか地面に励ましの言葉が。
「あるくのだ」みたいな意味に見えます。

彼方には品川が見えていますが、ここでちょっと寄り道。


泉岳寺前の土産物店


そして赤穂浪士が眠る泉岳寺。
そう、そしてここは既に江戸では無かったんですね。


品川バスターミナルということは、ゴールは近い!


9時前だというのに、タクシー並びすぎ。


品川駅はすぐそこで。13484歩。
奥に交番があるのですが、そこの警官がずっと僕のことを見てました。
万歩計の写真撮ると不審者なのかな?


本当の品川宿は1kmほど先ですが、本日のゴールはここ品川駅。
前回歩いたのはここからですから、ちゃんと次げますね。


ところで今日まで行くべき?


広重の日本橋

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まえがき

既に歩いた品川~川崎


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